おばあちゃん
年末から祖母の体調が芳しくない。
毎日病院に行っては帰り
「その連絡が来なかったらいいな」
「でも、おじいちゃんに会いたがってたな」
とか、沢山のことを思う日々を過ごしている。
以前嵐の二宮くんが「ありがとう」を言える機会は限られている、というお話をしてくれた。
私はここまで生きてきて、祖母にありがとうを何回言っただろうか。
意識は戻らなくても、せめて心臓が止まる前に祖母に
「ありがとう」
と、ひとこと伝えたい。
そして、
色んな言い訳を取っ払うなら、
もっと色んな話を聞いておけばよかった
と強く思う。
と同時に、毎日、土日もなく、朝から晩まで祖母を介護しに行っていた母が少し心配だ。
私が中学生になり程なくして、母は歩けなくなった祖母の介護を始めた。
我が家から祖母のいる実家までは自転車で10〜15分ほど。
運転免許未取得の母は、
焦げるような暑い日も凍るような寒い日も
毎日、自転車で実家に通っていた。
朝から晩まで付きっ切りで介護をするため、
ご飯をちゃんと作らなくなったり、家に帰ってこなくなった母に、
中学生の私は少し寂しさを覚えて、
お婆ちゃんにちょっと妬いたりもした。
普通の会社員よりも長く祖母の世話をして、
それなのに家族のご飯を用意して洗濯物もしていた私の母。
そんな母が、今祖母を送ってしまったら、
少し気が抜けてしまうのではないかと少し不安になるのだ。
自分自身と祖母のことを考えてみると、
思い出が幼少期から中学生までに集約されてしまっていることに気付く。
中学生以降、
部活に勉強に人間関係に、
弱い私は毎日自分のことで精一杯で、
祖母のもとに行く機会もめっきり減ってしまった。
母が介護に行くようになっていた頃には祖母はすでに、
あまり口をきかないようになっていた。
私のことも私と認識できないときも多かった。
だけど、そんなのは言い訳に過ぎない。
そうだとしても
祖母が話せることはあったはずだし、
私にだって時間はあったはずだ。
ただただ思う。
もっともっと、色んな話を聞いておけばよかった。
もっと祖母の人生に興味を持って生きていればよかった。
周りを気にしてばかりで、そこそこ勉強して、体面だけ良い、中身のない人になるより、
祖母ひとりの話を聞ける、身にできる人になりたかった。
もっと自分に周りに正直に、色んな人の知識を吸収できる人になりたかった。
今祖母の体調が回復したとて、話すことができる体ではもうない。
ずっと前にその時期は終わってしまった。
それでも、
ただひとつ、
願ってやまないことがある。
おばあちゃん、まだおじいちゃんの方にはいかないで。
もうちょっと、こっちにいてよ。
おばあちゃんの話は聞けなかったけど、
今度は私が話すからさ、ね?
まだ眠らないで
0コメント